減量日誌

うつ病と向き合いつつ、断捨離と減量を頑張ってるブログ。

【日記】2/12 感情は如此く溢れ出たようだ

以下に思った通りのことを記す。

先々週、鬱の原因を作った相手側のトップから謝罪があった。それで思い出してうわーっとなってしまう症状が一旦緩和した。謝罪してもらうことが、結局治療法だった。あとは自分の中で、こうなってしまったこと、不遇をかこつというか、そういうことが認めたくないことなんだと思う。そのことに対しての怒りとか、その不遇をかこっている最中に近づいてきていろんなことをされたことへの、怒りの気持ちが解けない。

しかし、怒り→では訴えるとか、裁判を起こすとか、他の人にも謝罪させる、とか、なんと面倒くさくて虚しいことなのだろう、とふと昨夜我に返って虚しくなってしまった。もともとそんなことをするために生きているんじゃない。この、今回の一人からの謝罪を貰うだけでもどれほどの時間がかかったことか。どれだけ心をすり減らしたことか。そしてまた、次の怒りに向けてぐるぐる頭を働かせている。なんと無駄なことであろうか。

時に合理主義で、また時に感情的な自分が入れ替わる。まるで多重人格である。ある時は人を許す寛大な気持ちがあって、まぁいいかって時もあるし、ある時は激しい怒りで謝罪を求めたいという気持ちが先行して時間を丸一日費やしてしまう。ふとそんな二面性があることに気がついた。長い年月、自分は我慢して来たんだと思う。我慢が限界に達し、このようなことになった。我慢を溜め込むのは良くない。しかしどこまでが我慢すべきポイントなのか?自分はこの先、会う人を選んでいけるのか?というか人を信用して良いのか?わからないことばかりである。

貴重な勉強すべき時間を潰してしまうのは良くない。しかし、考えるのは大事だ。

ただ「過去のことから学ぶ」=怒りの感情に囚われる という事に最近なりがちである。あぁ怒った気持ちは文章にして置いておいてしまおう。例えば、自分に対し、嘘の讒言を繰り返してついに自分を職場から追放せしめた人が居る。彼に対する怒りが最近どうも消えない。謝らせたい。しかしそんなことをしてどうなるものか。今後二度とそうならないためにどうするべきか。それを考え出すとすごく怒りが湧いてくる。なんて理不尽だったんだ、自分がすごく可哀想だ、そんな感じになってくる。それでまたぐるぐる考えてしまう。状況がすべて分かっている彼女を話し相手に、1日中怒りの言葉を吐き続ける。すごくつまらない過ごし方を毎日してしまう。

過去から学ぶことは大事なのだ、しかし怒りという感情を切り離すことはできるのか。ハラスメントに敏感になってて、ちょっとした言動にびくびくしてしまう。休む前は逆に、鈍感だったからのさばらせてしまったと思っていて、そのことに対する反省がある。徹底的に戦わないといけないのか、戦うのは面倒くさいな、そんな頭のぐるぐる状況がどうも抜けないし、それで鬱症状が悪化しているような気がする。休んでからもそのことを脳内で再体験し続けて辛かった。身の回りの整理が素早くできなかった。休んでからも、次々とまた色んな人に動かされた。職についていないのだと嘲られたように感じた(おそらくそんな感じだろうと推測した)ことに対してまた怒った。しかし怒りが怒りを呼んでいるような。そんな感じだった。

簡単に怒りという感情をさよならできるのだろうか。そのためにはどうしたらいいのだろうか。本当にやりたいことはなんなのか。それをやってたら幸せなのか。また変な人に絡まれてダメになってしまいやしないか。色んな防御策を考えて生きてしまう。

この気持ちが、密室の1人からの謝罪一言で収まっていいのだろうか。自分にはわからない。わからないままに、周りに流され、そうやって日々をいたずらに過ごしていることに非常に大きな疑問を覚える。今自分がやりたいことは何なのだろうか。考えることは楽しい。考えることが好きである。問題解決。ただそれが長じて、こんだけこんがらがっているような気がする。

感情を、気持ちを置いておくことはできるのだろうか。本当にそれが出来たら、機械的に一直線に野望達成に向けて生きていけるのだろうか。つまるところ、「過去から学ぶ」というのは、物凄く難しいことなのだと思う。

問題は結局、コミュニケーション能力である。

自分は、話したいという思惑を持つ人の願望を全て絶ってしまわなければならないと思う。そうしなければ、思惑を持つ。人は自分に対して、好きとか嫌いとか、利用してやろうとかの思惑を持つ。そうしたことをもう、自分の人生において他人に持たせる訳にはいかない。プラスマイナスゼロである。自分に対して、プラスは無くなるだろう。しかしマイナスの方を無くす方が大事だと思う。もう十分周回遅れになってしまった。人生ここから、またやり直しである。そう考えると本当に気が重い。必死で頑張っていたのに、なんで、って気持ちにもなる。しかし現実は現実だ。自分は貶められ、そして地に落とされてしまった。何回も自殺を考えた。どうせ死んだ命だと思っている。何をやろうとするのに、誰の気持ちをもはや優先する必要があるだろうか。生きるとは死ぬよりずっと過酷だ。

思いのままにならない自分の人生を、もう一度考え直したいと思う。付き合う相手を考え直したいと思う。人に意味もなく頭を下げたくない。敬語はもう使いたくない。気を使いたくない。それで貶めてくるのであれば、あなたと私はせめて平等でいましょう。いざとなったら頭を下げていたことが馬鹿らしくなる。

勝ち続けなければいけないのだ。僕が僕であるために勝ち続けなければならないという歌詞があったけど、一体何に対して勝てば勝ちなのか。それは自分が定義し続けなければならないのだろう。そうやって短絡的に自分自分自身の勝ちにこだわり、自分は生きていく。人は嘲るかもしれない、周回遅れをバカにし続けるだろう、でもそれしかない。一旦止まった身長を伸ばすのは無理なように、過去はもう塗り替えせない。

果たして、過去を切り離すことは出来るのだろうか?恨みの感情がこだまする。関わりたくない。すごく、この数年で人が嫌いになってしまった。兎に角しばらくは人との接触を避けながら生きようと思った。何と言われようと、あまりにも自分には過酷だ。あーこれから先は、人と関わるのをやめとこう。関わる人は自分の大学の同級生だけでよい。ふとそんなことを思った。心から信頼できるのは彼らだけなのではなかろうか。辛い時に心配して応援してくれたのは、一緒に過ごして来た彼らくらいだった気がする。あぁしかし難しいよ。まぁ、そんなことをダラダラ吐き出してみた。

 

これからのスタンスに悩んでいる。復帰しても話しかけられ、何の仕事もできなかった。コミュニケーションとは。自分の中での再定義が必要なようだ。関わりたくない。色々あったから。コミュニケーションとは潤滑油だと思っていた。だが、なんか今ではそれが負に働いて来たような気がする。しばらく忙しいということにしておこう。忙しくしようと思う。

心身不健康なり、バイトを辞めるか、縮小しようと思う。少し落ち着いて休みたくなっている。言葉や感情が溢れ出て、どうもそれを処理しきれない。しばらく休もう。