減量日誌

うつ病と向き合いつつ、断捨離と減量を頑張ってるブログ。

【所感】4/30 いずれの道も避けるな

とりあえず思ったことを思うがままに書いてみる。

 

兎に角とても身体中が痛いのである。

金曜日はとても鬱が悪化した。そわそわするような、脱力感と、無気力と、それに対する、自分に対する怒りが去就しては苦しんだ。最後は何をどうしたいのかあまりよく分からない1日だった。具体的には、何をどう頑張ったら良いのか分からなかった。そういう時は、案外どうしようもないのかもしれぬ。

土曜はなんかフワフワした感じを感じた。しかし次の日が模試だった訳で、兎に角間に合わないなりにも勉強をと思った。彼女が用事で居なかったことが、いささか気になった。それは寂しさのせいなのか?しかしすぐその感情は消えた。なんか感情というものが、最近すこし麻痺してきている。

日曜は模試。兎に角テンションが低かったが、大昔には出来ないくらい数学が出来たのでちょっと驚いたのと、物理を完全に忘れておりなんも思い出せなかったことに笑いそうだった。

古文漢文も全然覚えてなくてつまらなかったし、危機感を感じた。

とにかく、そんな感想ばかり残って、久しぶりに模試と言うものを受けてヘロヘロで、何も頭に浮かばず疲れて帰宅した。何も浮かばない。精神的に厳しい。そんなものか。

今日はだから休みたかったが、どうもそうもいかなかった。なんか心が疲れ果ててしまった。

今朝都内に出て、歩いていて、本当にたまたま、拓郎の歌を思い出した。

「いずれの道も 避けるないつでも 自分を確かめろ」

 

いやほんといまそうなのだ。これを初めて聞いたのは2003年くらいだったろうか。何のことやらだったがいまは分かる。何をやっても、どんな人に対しても中途半端にしかならない。この中途半端を一生続けて行くしかないのだろうか。

大学の時の友達が、進路を心配している。今は踏み出す時ではないと。ゆっくりやった方がいいと。

父は逃げ回ってることに対して怒り狂っている。よく怒られる。

母は現状を馬鹿にしてくる。

そうした中で、いま物理とか、数学とか、そういうことがすごくきつくなってくる時がある。で、合ってるのか、この進路選択は合ってるのか誰かに教えて欲しい。自分でも分からん。

という感じで、自分のことを誰も救っちゃくれねえなんてやさぐれていたのだが、たぶん数年間。ふっとそこで丁度3日前だっただろうか、不安に感じていくら人に話したって結局みんな不安になってるだけで、その時間がもったいない、相手に悪いのだということに気がついた。というのは、結局みんな反対で、客観的に見て不自然のない進路選択に安心するのである。

で、静かに決断することにしたのだった。決断はたぶん静かな方がいい。誰にも何も言わないでいい。もうそれが間違っていようがいまいが、もうそれでいいって決めてしまうこと。後は、もう突っ走るのみなのではないだろうか。そんな思考が3日前くらいにあった。もちろん、もう誰にも話していない。信じるのは自分だけでいい。

迷っている内は、迷いが行動に出る。もう迷ってはならないだろう。訳の分からないことで悩んでいるうちに老いぼれてしまうから笑(襟裳岬

まさにそんな感じの、ここ3年間だった気がする。

あぁ訳が分からないことばかりだ、現実は、他人の感情は。感情を考えて動くのはもう本当に辛いから、考えたくない。誰の感情ももう考えたくない。それだと仕事が回らない。そうかもしれない。でも訳がわからないのだ、本当に自分には。まだそういうことを悟るには若すぎるのかもしれないし、自分には永久に理解し得ないかもしれない。

うだうだ考えていてもしょうがないのかもしれないが、それが吉と出るか凶と出るかなんて分からないが、自分の気持ちを自分一人で確かめて見たら、やっぱりたくさんやりたくないことがあって、底の方にすこしやりたいこともあった。

この3年間くらいで、とにかく他人に振り回され続けた感じであったが、兎に角、自分を確かめろ。たぶんそういうことなのである。手助け無用。そういうことなのだ。他人の手助けを前提としていたら、話が進まないのだ。というか他人というものは誰も助けてくれないどころか、自分を傷つけるために居るような人も沢山居る。それはなぜなのだろうか。憎しみを沢山生み出した。そういうのはもう沢山だ。もういい。もういいだろう。自分がかわいそうだ。もういい。そういう訳で、ちょっと自分の殻に閉じこもろうというか、もう閉じこもってしまった。あんまりもう外に出る気はない。どうせ出ても、誰かに本音を言ってもそれは相手に対する優しさではない。

そんなことより、自分が本当に何を好きなのか、何をやりたいのかを大事にするべきだったんだと思う。人の感情が障壁でそれが出来ないとしたら、それはもうどうしようもないだろうさ。そしたらそれはもういい。圧倒的努力と工夫は、人の感情に簡単に敗れ去る。

まぁしかし、色んな人の恨みを買い、執拗に追い回された人生であった気がする。精神的タフネスはいつも非常に重要だ。それをいままさに磨いて居るのだ。自分はお酒が飲めないし、タバコも吸えないし、何、依存症みたいなものはたまたまないだけで、れっきとしたうつ病になってしまった。そういう時、精神的タフネスというのは本当に必要なのだ、これ以上負の連鎖を引き起こさないために。

では、精神的タフネスとは何だろうか。どうやってこのきつさ、厳しさ、寂しさを紛らわせたら良いのだろうか。それはたぶん、他人に求めてはいけないのだと思う。承認欲求は良くない。

兎に角、いま自分の思考は、この精神的タフネスをどうやって見につけるか、そこまで来た。

すっごいタフだったとして、折れてしまったらそれを元に戻すのはどうする?沢山寝る?美味しいものを食べる?そういうのは紛らわせて居るだけだ。

たぶん本当に必要なのは、外界を遮断して思考を整理して、色々決めることだ。そして希望を持つことだ。その希望ももちろん人に求めてはいけないだろう。

はてさて。

僕はやっぱり、自分が何をしたいかと言われたら背広を着て、父のように毎朝会社に出かけたい。背広を着て帰って来たい。色んな人と社会のためにバリエーションのある仕事がしたい。もう白衣はいい。でもそれは、自分には無理だろう。自分のこれまでをきちんと考えると、もう無理だろう。組織の中には入れないと思う。あぁ、そのことが一層物事をややこしくしているね。そのこともきちんと、自分のことも勉強していきたい。分からないことが多すぎる。

誰ともうまく行かぬ。

友達とは何だろうか。人生とはなんだろうか。自分に救えることがあるだろうか。自分が社会というものに貢献できることがあるだろうか。わからんが、兎に角いまは目の前の「やりたいこと」を、「手助け無用」に貫いていくのみである。深く深く、1人になる必要があるだろう。自分の人生を、1人で成り立たせる必要があるだろう。しかし、友達とは。他人とは。どう関わっていけば良いのだろう。それは永遠に分からない。自分の調子がいい時はなんの問題も起こらない。そんなものだ。恐らく。

さて、なので自分はつらつら書いたが、非常に重要な人生に一生残る傷をつけるかどうかという決断をした。あとはどうやるか。どうやったら得なのか。そういう思考になっている。