8/26 夜 厄払い
概要
仕事①の、自分の未熟さと向き合う。
今日はものすごく体調が悪かったから、電車の中で勉強を少ししかしていないし、昼休みも勉強を40分くらいで止めた。あとはゆっくり過ごした。とにかく体調が良くない。
技術面も新しいことに向けて追いつかないが、事務処理面の課題が立ち塞がってきた。結構時間がかかって、終わらなかった。
キャリアを考えている。
この職業は、20歳の頃に決めたもの
一生続けたいと思うのだが。
昨晩はそれなりに忙しかった
仕事②での立場が、意図と異なり上がっていく
自分は仕事②では、プレイヤー向きだと思うのに、マネージャー的立場を負わされてしまっている
同僚がひどく体調を崩して、気になってしょうがないが、肝心なところは踏み込めない。踏み込んでもいけない気がする。そして、踏み込ませてもいけない。
顧客がたくさん電話してくる。ずっと認めなかったけれども、もうそんなことは無いと思っているけれども、自分の挙動は人の目を引く。
好きも嫌いも時の運だし、もしも、自分に対してきちんと礼儀正しく接してもらえるようなことがあるならば、それはきちんと認めて、返したい。1番大事なことは、自分が正直で素直に生きたいということであって、その結果自分の意にそぐわない結果が起こっても、それはしょうがないのではないか。
それよりも、目先の人達を大事にして生きて行くことの繰り返し。ずっと大学時代からそうだった。
自分は、築きたい人間関係を築いてくることは出来なかった。仲良くしたいと思う人にこそかなり嫌われている。だからこそ、そうしたい人にはなんの思惑もなく仲良く丁寧に接していきたい。
おそらく、それが自分の才能の限界なのだと思った。
才能というのは、分かってくる。無いところばかり見ていてもしかたない。人間関係というものに才能が無いから、高望みをしない。そこに期待しない。
自分は案外と感情的ではない。才能があると思ったらソースを振っているし、そういう結果は出しているような気がする。逆に、人間関係はいくらソースを振ってもうまくいかない。うまくいかないのは、自分のうまく行って欲しい面だけなのだ。才能が無いから、それはもう諦めて、自分に好意的に接してくれる人とは仲良く、そうで無い人とは諦めていけばいい。
8/26 深夜
仕事②の、クレームを受けてそれを処理するという一連の生活が結構疲れてきた。前は少し上手くいっていた。その時代はもう終わった気がする。
つまり、機械的にやれないのである。なにかがあったらそれに反応し続けなくてはならない。もう本当にストレス。
そして、もろもろの人間関係がこじれて、いよいよおしまいだなと思った。
いま、人間関係に疲れてしまった。色々考えてしまうくらいなら、もう絶ってしまおう。
もうやめようと。
どうやめよう。
人というのは、思惑を持つ。ある一定数そういう人がいて、そういう人は、近づいてはいけない。
そして、だいたいが横柄な思考回路の人たちである。そういう違和感がひっかかったりしたら、もう離れなければならない。そう思うのだ。
まぁ、しかし0か100かは、良くない。
きちんと直談判しようか。それか黙って手を引こうか。悩んでいる。悩むと、いつも悪い方向へ転がる。
明日は大学の友達がわざわざこちらまでくるというので、仕事終わりに会おうと思った。そしたら何か分かるような気もする。
まぁ、しかしたくさん痛い目にあって、厄払いをしていこう。何事も、厄払いだろう。